十数日間の軍事訓練が正式にひと区切りつき、ようやく開学以来のさまざまな気持ちを記録したり、この数日間に出会った人や出来事を振り返ったり、いくつかのわけの分からない感想を書いたりする時間ができた。

学校へ

中秋節の頃、14日に中山で一日遊び、翌日に学校へ報告に行くことに決めた。全行程を自分たちで車を運転して行くことにしたので、乗り物に乗る際の面倒を省くことができた。記憶違いでなければ、中山に来るのはたぶん初めてで、かなり不慣れな場所だった。まず大信新都汇へ行って海底撈を食べ、何百元も使ってしまった(心が痛い ing)。

もともとの予定では、海底撈を食べた後に孫中山紀念堂を見学するはずだったが、来る途中でかなり時間を無駄にしてしまい、食後に孫中山紀念堂へ行くとあまり遊べなさそうだったので、ホテルに戻って休むことにした。夜はホテルの近くの公園を少し散歩し、少し食べてから、またホテルに戻った。

翌日は早起きした。先輩が、寮は割り当てられているものの、ベッドは早い者勝ちだと言っていたからだ。私は上段で寝たかったので、できるだけ早く学校へ行って報告を済ませようと思い、7時にホテルを出発した。高架橋を建設中の城桂公路を避け、遠回りの道を通ったほうがかえって早く学校に着き、30分余りで到着した。

贴吧で学校の風景を何度も見ていたものの、初めて理工の実際の姿を目にすると、やはり少し新鮮な感じがした。想像していた大学とそれほど違わず、とにかくかなり満足だった。荷物を持つのを手伝い、報告をして寮の鍵を受け取るところまで案内してくれる、熱心な先輩たちもたくさんいた。

校舎から寮までの道のりは、まさに崩壊しそうだった。山を越え谷を越えるようで、道は果てしなく長い。そこで初めて、この学校がどれほど広いのかに気づいた。高校の十倍ほどもあり、重いスーツケースを持って9号棟の寮まで来て、6階まで上がると、寮にはまだ誰も来ておらず、私が一番乗りだった。

きれいなベッドを一つ選び、住み始める準備を始めた。寮でしばらく片づけをしていると、まだ朝食を食べていないことを思い出したので、父と母を連れて第一食堂へ行き、理工での最初の朝食を試してみることにした。ピータンと豚肉のおかゆを一杯注文し、7元だった。量はかなり多く、満腹になった。

朝食でお腹いっぱいになった後、キャンパス内をあちこち歩き回り始めた。D棟の校舎からA棟へ行き、さらにEF棟へ向かった。手元にキャンパスの見取り図があったので、道に迷うことはなかった。歩き疲れた後、校舎の休憩室にしばらく座っていると、ちょうど昼食の時間になったので、再び第一食堂へ戻り、2階にどんな美食があるのか見に行った。

2階は1階ほど内装が洗練されておらず、高校の食堂に少し似ていたが、店はとても多く、数え切れないほどの美食があった。父と母と私は席を見つけて座り、姉は益禾堂へミルクティーを買いに行った。長い列に並んで、ようやく益禾烤奶を2杯買ってきた。

ミルクティーを待っている間、父の言葉に私は目頭が熱くなった。かつて私が理工に合格したとき、父はここが専科だと知り、彼の意識の中では、専科は一部の職業学校と同じで、学習の雰囲気が悪く、キャンパスの環境もひどいものだと思っていた。私が大学生活をうまく過ごせないのではないかと心配していたのだ。

父も理工に来てから、私に「ようやく安心した」と言った。この学校について、父も満足していることが見て取れた。

昼食を食べ終えて寮に戻ると、そろそろ別れの時間になった。姉は学校へ戻るための切符を予約し、父と母も家に帰る準備をしていた。父は、しっかり勉強し、技術を身につけてこそ社会で生きていけるのだと、何度も私に言い聞かせた。母は、必ずお腹いっぱい食べて、健康に気をつけるようにと言った。

いつも別れ際には 平気なふりをして 微笑みながら帰ってと言い 振り返れば涙で濡れた瞳

以前からよく聴いていた『父親』の一節が、ついに目の前に現れた。涙が出そうになった。